人と接することが好きで始めたサービス業

 

 

昔から人と接せることが好き、洋服が好きということで、大学卒業後は、大好きなアパレルの販売業に就きました。

日、大好きな洋服に囲まれ、洋服のことばかり考えていられることがとても幸せで、楽しい毎日でした。
もともと明るい性格で、親が転勤族ということもあり初対面の人と話すことに抵抗がなかったため、アパレス接客は自分に適しているのだと思っていました。

徐々に仕事も慣れてきて、様々な責任を与えられるようになります。いわゆる会社でいう「中堅」というポジションです。

私の勤務していた職場は大手アパレルメーカーの中のブランドで、販売戦略にしっかりとしたマニュアルがありました。
日ごと、また時間ごとの売り上げ成績、また、セット販売数など数々の報告事項がありました。

それに加え、新人スタッフの教育、勉強会、上司との板挟み、顧客への販促各堂・・多忙になるにつれて、心身とも崩れていきました。

あんなに好きだだった人との会話が億劫になり、勤務していた洋服もはすっかり飽きてしまい、厳しい上司のヒステリックにびくびくしながら過ごす日々でした。

また、事務処理も増し、残業や休日出勤は当たり前。

セールの時は1日12時間近い勤務になることもあり、疲れとストレスで身体を壊してしまい、もはや限界。

年齢もちょうど30手前。

若手がどんどん成長する中で、自分に対する焦りと将来への不安でいっぱいの毎日でした。

デパートの社員休憩室で見かける中年の販売員を眺めながら、「アパレルなんて一生続けていける仕事じゃない」と、思う毎日。

事務職へのあこがれが日に日に増していきました。

しかし、当時の私は事務職って具体的に何をやっていて、どんな1日の過ごし方なのか全く想像がつきません。

一番の不安な要素は

「事務職に向いているのだろうか」

「飽きてしまうのではないだろうか」

販売先のアパレルが、キャリア向けのブランドだったため、買いに来るお客さんの眺めながら、不安に思う日々。

元来、飽き性の私は、目的がないと続かないという性格は熟知していました。

 

 

そこで転職のためにインターネットの適職診断や、転職サイトを眺める日々が始まります。

何か、ピンと職種はないだろうかと。

検索を続ける中で、一つ引っかかったのが「CADオペレーター」

当時はまだ、建築業界や機械系の業界は手書き図面のところが多く、徐々にCADを導入し始めた時期でした。

もともと、絵をかくのが好きでアニメーションのような絵というよりは、模写をするような絵をかくのが得意でした。

また、散々人間関係で悩まされてきたので、一人で黙々と仕事ができると点もすごく良い、手に職という点で結婚後や出産後も続けられるし、お給料も良い。オペレーターなのである程度の責任のもと仕事が勧められそう、という理由で、CADオペレーターを目指すことにしました。

 

 

 

反対を押し切ってのアパレル離脱

 

当時、ちょうどブランド全体の転換期を言える時期で、各地で入れ替えの激しい時期で、人手不足でした。

店長候補だった私は、上司に事情を説明し、次への新たな決意を話しました。

しかし案の定、ブランド側はなかなか辞めることを承諾してくれず、1~2カ月くらい妥協案や代替え案を提案されましたが私の意志は変わらず、やっと諦めたといった様子で転職への一歩を踏み出せました。

 

CADスクールに入学

 

アパレル業を減らしながら、3カ月のCADスクールに入学しました。

CADソフトの使い方と実際の図面作成を行うスクールで、1日5.6時間パソコンに向かう日々です。

静かに黙々をパソコンに向かう生活は今までと180度ちがうものでした。

受講生も、年齢性別様々で、アパレル業の染みついていた私はたぶんとても派手でチャラチャラした印象だったのではないか、と今になってみれば思います。

しかし全く新しいことを覚えるのはとても楽しく、すぐにのめりこんでいきました。

 

 

就職がすんなり決まる

 

そんなスクール通いもあっという間に終わり、たまたま自宅近くに機械系の会社があったのですが、そこでCADオペレーターの求人がありました。

スクールで作った作品を持参し、当時は3次元CADの操作ができる人が少ないということで、文系出身の私が、すんなり合格となりました。

最初3カ月は、その会社の製品を作るところを体験してもらう、ということで、工場勤務となりました。

いわゆる「ライン作業」です。

初めてのライン作業は正直全然向いていなかったです。

おとなしい人が黙々と同じことを繰り返す毎日。

話しかけても反応がない。

何度もやめたいと思いました。

工場なのでフィリピン人が何人かいて、明るい彼女たちと話すのが一日の唯一の救いでした。

今まで、終電生活を続けていたので、17時に終わるといのも救いになり、なんとか3カ月乗り切りました。

そこで配属されたのが、研究開発部。

まさに理系の集団がいる部署、9割が男性で作業着で仕事を行うといったこれも今までの人生をかけ離れた職場でした。

しかし、ソフトが使えるというだけで、理系の知識は0。

当時の部長が優しかったので、半年は簡単な手書き図面をCAD化する作業でした。

その後、設計士の元で本格的な図面作成に。

優しい方々ばかりなので、全く違う職種でも続けていけたのではないかなと思います。

何も知らなかったからできた転職、今思えば勇気を出してよかったと思っています。