ブラック企業が淘汰される時代が来るのか、という問いには『淘汰されて欲しい』『淘汰後の世界で働きたい』という願望が見え隠れする。
確かに、私個人もブラック企業に勤めていた経験があり、なおかつ今勤めている企業も”ブラックな部分”というのが全くないとは言えない。
『この世にはブラック企業が多すぎ、淘汰は難しい』ということが誰の目にも明らかである。
ただ、だからといって当然”ブラック企業があってもいい”ということにはならない。よって、以下に淘汰される時代が来るのか、ひいては淘汰できるのかについて書き連ねていきたく思う。

ブラック企業とは

まず、ブラック企業という敵を明らかにしよう。実はここには二つの意味が含まれていると私は思う。

一つは、『違法行為を強制する』企業のことだ。これは主にTVなどメディアでも槍玉に挙げられる企業である。
そしてもう一つは『違法ではないが、苦痛を伴う行為を強制する』企業である。これはなかなか表だって出ないのでイメージがつきにくいかもしれないが、企業に勤めている方なら経験のある方もいるだろう。社員間で時折ある事例をあげては『意外とブラックよね~』という言葉が出てくる行為、わかりやすいもので言えば、少し古臭い言い方だが『飲み二ケーション』などが該当する。

ただ、これらはどちらも同じ原因に端を発する。違法であれそうでないであれ、原因は『上の人間の、下の人間の気持ちが読めていないこと』および『よって的外れな指示(強制)を行うこと』である。
つまり、ブラック企業という敵には『ブラック上司』が内在している。

現状

さて、上記”敵”に対して現状はどうだろうか。

昨今、労働者にとって良いか悪いかは議論の尽きない話題であるが、政府の『働き方改革』が進められている。
そもそも、まずこの”政府の”という部分がポイントである。これは実に日本らしいポイントだ。
というのも海外では改革、つまり革命というのは庶民によって行われてきた。歴史の教科書を開けば一目瞭然である。しかしながら、日本では基本的に改革はいつも”お上”の人間によって行われてきた。明治維新でさえ、浪人とはいえ維新を行ったのは士農工商のトップであるサムライたちである。

これは日本での『ブラック企業淘汰』における一つの問題である。『ブラック上司』が『ブラック企業』の原因であることは既に述べたとおりだが、この国の”上司”が部下である”企業”を指導するのが『働き方改革』であるからだ。もしも、その国自身が『ブラック上司』であれば淘汰は不可能であるのは誰の目にも明らかである。

ただ、もちろん悲観的な部分だけではない。『働き方改革』によって、定時帰りが増えたというニュースもある。
だが、やはりこの国による『働き方改革』は問題なのである。楽観的に捉えれば、ようやく国が『ブラック企業』に対する国民の声を聞いてくれたと捉えられなくもない。しかしそこには裏がある。
国がこのような改革を行った理由は、『日本の生産性の低さ』を問題と見た部分が大きいからである。つまり、自分の首が締まってきたから行ったに過ぎないのだ。

打開策の前に ~『サイコパス』について~

さて、国にも期待できないとすれば、一体どうすればいいのか。そもそも、どうすればブラック企業は淘汰できるのか。
ここに、面白い話がある。イギリスの文学者、故コリン・ウィルソンの息子が犯罪者について書いた評論にある話だ。

その評論によると、現代のブラック企業が増えた理由は、異常犯罪率発生数の低下と関係があるというのである。
異常犯罪とは主に『サイコパス』と定義される人々が起こす犯罪のことだ。猟奇殺人、大量犯罪などを起こす人間は『サイコパス』である可能性が高いとされる。
『サイコパス』とは、知能が高いにも関わらず、他人が不幸へ陥った際の共感能力が欠けており、結果として他人を不幸に貶めるのに何の抵抗もないのが特徴とされる。

論者の意見によると、かつてこの『サイコパス』の活動は”異常犯罪”という形で捌け口を見つけていた。しかしながら警察の捜査能力が向上した現在において、彼らはその高い知能から『犯罪がやりにくくなった』ことを理解した。

よって、『ブラック企業』で『ブラック上司』となることでその捌け口を見つけたというのである。
これはかなり興味深い意見である。となれば、先の『1.ブラック企業とは』で述べた内容ともリンクする。つまり『サイコパス』が”犯罪”から”ブラック(違法)行動”に移ったように、『1.ブラック企業とは』で述べた”ブラック(違法)行為”から”ブラック(違法ではないが、苦痛を伴う)行為”に進んだことも説明できるからだ。

つまり、『ブラック企業』の原因である『ブラック上司=サイコパス』は
『犯罪』→『見つかりにくい犯罪=違法なブラック行為』→『犯罪ではない=違法ではないが苦痛を伴うブラック行為』
へと、自らの欲求の捌け口を進化させてきたのである。

打開策

さて、では打開策はなんだろうか。

まず一つは、彼らに捌け口を提供することだ。つまりは犯罪行為である。
ただ、これを現在の世界において行うにはもちろん『現行の司法・警察機構を逆行させる』というのではありえない。となればその手法は、戦争行為でしか実現不可である。
つまり、解決策の一つは戦争を行うということだ。

しかしながら、ただ戦争を行っても先の大戦のように『一億総ブラック』となるだけである。であれば必要な戦争とは何かということだが、『一億総出』とならない戦争規模かつ『サイコパス』を選定して送り込むということが必要となる。

ただ、この方法はもちろんその当然の結論として平和的ではないし、実現も難しくかつ必然的に少数はやはり苦しみ続けるので『ブラック企業淘汰』ということにはならない。
では、もう一つの解決策は?

実はこれこそ語りたかった解決策であり、上記の答えはただインパクトを持った結論の一つをもってきたかったというだけに過ぎない。なぜならもう一つの解決策はしごく面白みに欠けるからだ。
それは『ブラック企業』に対する”ダブル・スピーク”をやめるということである。

”ダブル・スピーク”とは、例を持って紹介すると『死亡保険』→『生命保険』という言い方のことだ。より曖昧な表現を用いるということである。
われわれにできることというのは、『ブラック企業』を『違法企業』と呼ぶ、ひいては『ブラック上司』を『犯罪者』と呼び、『苦痛を伴う行為の強制』を『犯罪』と呼ぶことなのである。

まとめ

さて、ここまでのまとめを行う。
われわれが『ブラック企業』と呼んでいるものは『違法』なものと『違法ではないが苦痛を伴う』ものを強制してくる企業のことであり、そこには必ず『ブラック上司』が存在する。
『ブラック上司』とは”犯罪”という捌け口を失った『サイコパス』である。
彼らを淘汰するには『ブラック企業』などに対する”ダブル・スピーク”をしない。
以上である。

ただ、最後に『淘汰できるか?』という問いに答えさせていただく。答えはノーである。
なぜならば、それは『サイコパス』を淘汰できるかということであるからだ。
『サイコパス』は、人間が生命である以上、突然変異的に発生する。現状の科学ではその原因がわからぬ以上、完全に『サイコパス』を淘汰しても、また発生しないとは言えないのだ。つまり、今の結論では永遠に”いたちごっこ”は続く。

であれば、やはり問題は『淘汰できるか?』ということに専心することではなく、自らが『サイコパス』となることではないのか?
これは短絡的な結論であるが、これを選びたくなるというのも、やはり『ブラック企業』の淘汰が難しいということの証明なのである。