待遇が悪化し退職を決意

 

四大卒ですが、リーマンショックの煽りを受けてことごとく内定取り消しとなり、結局就活に失敗し同年夏に地元で英会話講師として採用されましたが正規雇用ではなく契約社員で、雇用保険も社会保険を始め賞与も昇進も残業代の支払いもなく福利厚生はゼロの上、午後からの出勤とはいえ毎日日付を超えて仕事をしていました。

休憩が全くないのに給与形態がまるで見合っておらず、体力的にもハードで、けれども代わりがいないのでどんなに体調が悪くてもレッスンをしなくてはならない上に常に3〜4個の営業ノルマを課せられ、保護者対応やクレーム対応等々、運営に関わる全ての業務をたった一人でこなさなければならない、過酷な環境でした。

自然と早々に辞めていく講師が絶えず、1年続く講師は、レッスンデビュー出来た新人が10人いるとしたらその中で1人いるかいないかといった割合でした。

そんな中で私はきっとこの仕事に向いていたのでしょう、レッスンスキルと営業、運営を評価されて3年目から地区リーダーに就任し、今までの仕事に加算する形で地区の運営や講師の教育などにも携わるようになり、当然仕事は倍増しました。

月の休みは2日か3日。にも関わらず給料はリーダー手当の5千円と、会議に出席する分の時間給(3千円強)がプラスされただけ。

仕事のやりがいはあっても、待遇はむしろどんどん見合わなくなり、心身ともに疲れ果てていました。

それでも生徒たちへの愛情と、保護者の期待に応えたい気持ちだけでなんとか続けられていました。

けれどもある日、全く身に覚えのない深刻なクレームが保護者から寄せられて、それが事実でないことは明らかでしたが、事態を重く見た会社側はとにかく早急にことを収めたい一心で全面的に保護者の意見を認め、教室唯一のスタッフであり運営者である私の話はもみ消されることになりました。

当然私も謝罪に繰り出され、今後二度と同様の問題を起こさないよう厳重注意を受けた上で誓約書を書かされました。

その出来事から1ヶ月も経たないうちに別の生徒から形は違えど似たような内容のクレームが舞い込んできました。

言ってしまうと傷害です。

それこそ前の件以上になんの証拠もなく、ましてや教室の外、レッスンが終了して生徒が帰宅の途についた後、教室から数百メートル離れた路上で起きた生徒同士のささいな喧嘩によるもので私の責任に問われることではありませんでした。

しかし前回同様なぜか私と本部の社員が怪我をしたという(生徒の狂言。普段から構って欲しいが故によく嘘をつく子で、実際に傷やあざなどどこにも無かった)生徒の自宅へ謝りに行き、またしても「今後は安心安全なレッスン提供を第一に努めるようにと」厳重注意を受けたところで、それまで張り詰めていた糸がバッサリ切れてしまったんだと思います。

数週間考えましたが、「別のレッスンを行なっている時間に、教室から数百メートルも離れたところで起きた生徒同士のいさかいまで私が管理をすべき『レッスン』だというのなら、私はもう二度と『安心安全なレッスン』なんて出来ない。」と結論づけ辞表を提出しました。

本部も、クレームが立て続けに入ったとはいえそれなりに有能であった私を手放したくは無かったのか、かなりごねましたが泣き落としと毅然とした態度を使い分けて退職に持ち込みました。

 

興味をもった司会業への転職

 

とはいえ次の仕事の目処などなく、退職してから転職活動を始めることとなりました。退職日まで跡継ぎなどで忙しかったためとても転職活動をしている暇はありませんでした。

職業上、それまで喉にかなり負担をかけていましたので声が出なくなることも何度かありました。

そうすると営業であれ同じような英会話講師であれ、仕事がままならなくなることがわかっていたので、次は喉に負担の少ない仕事を、と思いましたが、専門的な知識や技術はなにもない私にはサービス業や営業以外出来ることがありません。

たまたま掛かりつけの咽喉科の病院で診察中、講師をやめて次の仕事を探してる旨を伝えたら「こういう仕事もあるみたいだよ」と冠婚葬祭の司会業を勧められました。

喋る仕事ですが、その分周りも喉に気遣ってくれる可能性が高いし、正しい声の出し方が身につくから、とアドバイスされました。

私は大学時代の専攻(スピーチやプレゼン等)と前職のおかげで人前で話をすることには慣れてましたし、一般的に見て外見も悪くはありません。

何より少し興味を惹かれたので、詳しい話を聞きたいと思いました。

お医者さんは司会に知り合いがいるわけではなかったのでホームページなど見てみようと思ったのですが、それより先に目にした求人情報誌にのんと司会業の求人があったのです。

抜群のタイミングでしたし、これも何かの縁かもしれないと思いすぐに連絡して面接を設定してもらい、その場で合格が決まりました。

とはいえ、数ヶ月かけてレッスンしてもらい、その成果を先輩司会者と社長の前で披露しOKがもらえたら現場デビュー。

それまでお給料は出ず、デビュー後も自営となるので、会社員ではなくフリーランスで、〇〇司会事務所に所属する司会者しての契約でした。

その条件に不安はありましたが、当時は実家暮らしで結婚の可能性もなく、若さゆえにか将来への心配も大してありませんでした。

新しいことに挑戦したい気持ちもあり、実力主義上等!の考えもあったので、思い切って飛び込んでみた形です。

もちろん最初の1年は苦労の連続で、取引先からの理不尽も多くよく泣いていました。

前職と違い大して仕事に向いているとも思えませんでした。

けれどその分、新人の間に努力を続けることを怠らなかったことが、取引先からも事務所からもある程度認められて不安なく仕事を任せてもらえる現在の私になるための糧だったと感じています。

収入は講師時代に比べて多少減りましたが、体力的にも楽になり、なにより家族や友人、周りからの心配も落ち着きました。

いまは結婚して家庭のある私ですので、バランスのとりやすい働き方が出来てちょうどよいと思っています。

もちろん仕事の不満はありますが、それはどこにいっても大なり小なり当然と考えているので仕方ありませんね。