ブラック企業に見られる特徴というのは様々あります。残業が多かったり、給与が低すぎたり、人によってもブラック企業であると感じるポイントは様々であはありますが、一定の傾向が見られるのも確かです。

比較的多くの人がブラック企業ではないかと怪しむポイントとしてあげられるものに「やたらやりがいばかり主張してくる」企業があげられます。実はこの感覚は意外に正しくて、私は「やりがいばかり主張してくる企業」はブラック企業の確率が高い、と考えております。今回はやりがいばかり主張する企業がブラック企業である可能性が高い理由と、どうしてこうした企業がやりがいを主張するのかを説明します。

 

求人広告で使いやすい言葉が「やりがい」

ブラック企業がやりがいを主張して来るのは、他に会社の良い点がないからです。そして自らそれは理解しているので、ごまかすためにやりがいという曖昧な言葉に逃げようとしています。

特に求人広告におけるやりがいは危険な言葉です。もちろんどの会社も「やりがい」が求人における定番の文句であることは否定しません。

しかし一般的な会社であれば、まずは安心した労働環境が用意されていて、それを前提としたうえでやりがいによってさらに充実化を図っていこうとします。ブラック企業の場合は、劣悪な労働環境の隠れ蓑としてやりがいという言葉を大量に使います。

例を挙げると、「20代で管理職になった人も。頑張ればその分だけ自分に返ってくるのでやりかいのある仕事です」というような広告があります。特に若い人にとっては努力さえすれば早々に昇格できるのは魅力的な条件に思えます。それこそやりがいを感じるでしょう。

ですが、20代での管理職はごく優秀な人がたまたまなっただけという可能性が十分あります。また、社員が使い捨てで続かないので年齢のバランスが非常に悪いということも予測されます。

他には「日々の成長が実感できるやりがいのある仕事です」というのも目にします。これなどはもう具体性も何もないので、他に書けることがなかった結果でしょう。

具体性が一切ないやりがいは「アットホームな職場」と同様に、おおよそ良いポイントがない会社の求人の定番文句と言えます。

 

やりがいを主張するのはやりがいを見つけづらいから

冒頭からやや矛盾したようなことを言っていますが、これであっています。やりがいをやたら主張するのはやりがいが見つけづらいからこそなのです。

そもそも働くことにおけるやりがいとは「その労働に自発的に取り組む意味を見いだすこと」です。そう、自発的にです。自発的に取り組む意味なのですから、本来は自分なりに自然と見つけられてしかるべきなのです。つまり、仕事におけるやりがいは、しっかりした仕事にしっかりした人が取り組んでいれば自ずから見つかるもので、誰かに言われるものではないのです。

実際大企業で社会的意義の大きい仕事を行っているホワイトな企業はわざわざ「やりがい」なんて主張しません。なぜならいちいち主張しなくても社員一人一人が社会的使命を感じながら仕事をしていて充分にやりがいを感じているからです。

でも、一部企業は「やりがい」をやたら主張して来ます。それはなぜかといいますと、「誰かがやりがいを押し付けなければやりがいをみつけづらいから」につきます。つまり、やりがいを主張する企業の仕事や労働環境は、やりがいを見つけるのが難しい仕事なのです。

やりがいを見つけるのが難しい仕事が人々にとって望ましくない仕事、そしてそうした労働を強いている企業は確率的にはブラック企業である可能性が高いことは確かです。

やりがいを主張するのはやりがい以外にセールスポイントを見いだせないから

実は、やりがいが少ないことはそれだけではブラック企業であるとは限りません。世の中楽しくはないけれど、やりがいなんてわからないけれど誰かがやらなければならない仕事はたくさんあります。そこに仕事がある以上、誰かにやらせる必要が企業にはあります。

それなのにその仕事があって、労働者にさせているだけでブラック企業と呼ばれるのは理不尽な話ですよね。もちろん本当はそうした企業でもブラック企業にならないやりかたがあるのです。それは対等な「対価」を払うことです。やりたい人がいない仕事ならば、誰かが我慢してくれるわけですから、その我慢に報いる対価を払えば、労働者は納得してくれるのです。

そして、しっかり対価を払っているような企業は、「やりがい」なんて主張しません。そんなことを無理にしなくても「高給である」ことを宣伝すれば人は来るからです。

一方でやりがいを殊更に主張する企業がなぜいるのかというと、「やりがい意外にセールスポイントがないから」につきます。

その企業は雇用者に充分に還元するちからをもっていないのです。かといって正直に辛い仕事を言えば雇用者はきません、なにかを売り込まなきゃいけないので、一円にもならない「やりがい」を無理やり売り込んでいるというわけです。このようにやりがい以外にアピールポイントがないからこそ、やりがいで人を集めるのです。

上司や先輩の圧力が強すぎる可能性が高い

やりがい主張する企業は、雇用者やこれから働こうとしている人に無理やりやりがいを植え付けようとします。やりがいを植え付けるためには一般的に目上の人からの圧力が必要になります。企業という多くの人が集まる場所において、本来はないやりがいを持たせるというのは簡単ではありません。どうするのかというと、そういった企業は上司や先輩の統率力を使うことで、労働者にやりがいを植え付けようとするのです。

それは自主性の押し付けでしかありません、本人の意思とは関係なく、やりがいのある仕事なのだから多少の条件は仕方がないという方向にもっていこうとします。

労働条件について主張するような人間に対してはやりがいよりも大切なことはあるはずがないと、環境改善を訴えた人が間違っているかのような雰囲気を作り出してきます。

結果として押し付けられた人は条件を飲み込むしかないので、大人しく働くことになってしまいます。そしてもしも何かが合った時には、勝手にやったこととされてしまいます。

やりがいという言葉はどんな悪条件のことも、これひとつでごまかすことができる魔法の言葉です。客観的にみて達成不可能な仕事があったとしても「困難な目標に挑むことこそがやりがいである」という強引な理論が成り立ちます。条件の見直しなどするつもりはまったくありません。

困難を乗り越えることで人が成長するのは間違いではありませんが、実現が可能かどうかは重要な問題です。はじめから実現が見込めない目標を立てたところで、達成感が伴わないので成長など望めません。そんなこともわからずにブラック企業は「やりがい」という言葉を好んで使います。

社員がやりがいを感じるかどうかは、会社での労働環境や仕事の内容によるもので、本来自主的なものです。ブラック企業のやりがいは、それを感じるのは当たり前だろうというスタンスです。

本来、自然と湧き出るやりがいと強引に押し付けられたやりがいでは仕事に対するモチベーションは比べるまでもありません。にも関わらず、ブラック企業は同じものだと思っているので、平然とやりがいを押し付けて社員をコントロールしようとするのです。

従ってやりがいばかり主張する企業は、上司や先輩のちからが強い企業である可能性が高いです。上司の力が強すぎる仕事がいいとおもう人はあまりいないと思いますので、こうした組織は人が望まない組織であり、それが進みすぎればブラック企業と認識されることが増えるでしょう。

やりがいを主張する企業は上司や先輩の力が強すぎパワハラ色の強い「ブラック企業」の可能性が高いということになります。

やりがいを主張する企業の社員は「やりがい」をあまり感じていない可能性が高い

これまでの論点を考えてみたときに、想像してみてください、本当は大したやりがいがなく、やりがい以外で何か仕事に意義を見出すこともなく、半ば強制的に上司や先輩がやりがいを主張してくるような企業で、やりがいを感じることは可能でしょうか。

もちろん中には触発されて奮起して頑張る雇用者もいるのかもしれませんが、そうした人はブラック企業でも働いて行ける精神の人です。少なくとも一定以上の人は、こうした企業では本当のやりがいなんて見つけることは難しいでしょう。

つまり、こうした企業の仕事は結局「余り仕事にやりがいが感じられない企業」になってしまうというわけで、企業が主張しているにもかかわらず、実際に働く雇用者は余りやりがいを感じていない可能性が高いです。

もちろんやりがいがないだけで100%ブラック企業になるというわけではありませんが、やはりやりがいを感じることができない仕事は、雇用者に負担を与えてしまうため、結局ブラック企業とみなされる可能性が高まってしまうといえます。

 

中には本気でやりがいがあると信じている人もいる

計算されたやりがいの演出の他に、稀に本気でやりがいがあると信じている人がいます。既にブラック企業に完全に染まりきった人などは、その悪条件に対して心の底からやりがいを感じています。

これはもはや周囲のことが客観的にみえておらず、一種の洗脳状態であり、ブラック企業が望む社員の姿です。自分でやりがいを感じているのですから、自分の会社を紹介するときや、同僚に接する時にも何にも躊躇うことなくやりがいを全面に主張することができます。

ブラック企業の経営者の中にもこのパターンは多いにあります。つまりやりがいという言葉だけを信じて、現実無がないことに突き進んでいるタイプの人間です。ロマンチストで、冷静に物事を判断できていないので自分の理想論だけで会社を運営しています。

やりがいのある仕事だと本人が信じ切っている状態での仕事ですので、社員にも同じことを求めてくるでしょう。

これらの本気でやりがいを感じている人への対処は案外と難しいものです。自分が本気で信じているだけに言葉に偽りがなく、情熱的でさえあります。油断をしていたらまんまと巻き込まれてしまうかもしれないので注意が必要です。

ブラック企業でも働いている本人たちが心からやりがいを感じているのであれば、外野がとやかく言う必要はありません。ですが、そのやりがいを他の人たちが同じように感じていると考えて押し付けてくるのは別問題です。

やりがいを主張する会社は自分たちの世界が正しく、皆が同じ考えをもっていると信じているので、突拍子がないことも平気でできてしまうのです。

「やりがいの大きさ」に騙されず自分なりのやりがいをみつけることが肝要

雇用者としては安易に「やりがいが大きい」というキャッチフレーズに騙されないことが肝要です。前の章で説明した通り、本来やりがいは「自分で見つけるもの」「自然と見つかるもの」です。企業がやりがいを自ら主張している時点でおかしいのです。

勿論そうした企業が淘汰されていくことは望ましいですが、雇用者としても、そうした企業に入ればやりがいが見つかるという幻想は捨てて、能動的に動き、自分にふさわしい、本当にやりがいを見つけられる企業に自らたどり着くことが大切です。雇用者みんながそのような意識をもって能動的に働くようにすれば、安易に偽物のやりがいを主張する企業はやがて減っていき、ブラック企業も合わせて減っていくものだと思います。雇用者一人一人の意識も、こうしたブラック企業を減らしていく上では大切なのです。

 

最後に

 

「やりがい」を安易に主張する企業は残念ながらたくさんあります。そのすべてがというわけではないですが、一定数はここに書いたような特徴が当てはまる「本当はやりがいもないし、魅力も小さい企業」です。場合によってはパワハラが横行している企業かもしれません。

結局やはり「やりがい」をやたらと主張する企業はブラック企業の可能性が相対的に高いといえます。こうした企業に入ってしまわないよう、自分の「やりがい」が何なのかをしっかり意識づけて働くことが労働者がブラック企業に入ってしまうリスクを減らすと共に、こうした「やりがい主張型」のブラック企業を減らしていくことにつながります。